山本KID徳郁の生涯と戦績、死因・家族・現在を2026年版で徹底解説
山本KID徳郁(やまもと・キッド・のりふみ)は、日本の総合格闘技界に強烈な足跡を残した格闘家である。「神の子」の愛称で親しまれ、小柄な体格から繰り出す爆発的な打撃、レスリングで培った身体能力、そして勝負を恐れない攻撃的なファイトスタイルで多くのファンを魅了した。K-1、HERO'S、DREAM、UFCなど国内外の舞台で活躍し、2005年にはHERO'S初代ミドル級世界王者に輝いている。 (あわせて読みたい:箱根駅伝2023の結果を総合順位・往路復路タイムと区間賞で徹底解説【2026年版】)
1977年3月15日生まれの山本KID徳郁は、2018年9月18日、41歳6か月で逝去した。亡くなる約3週間前には自身のがん闘病を公表しており、その早すぎる訃報は格闘技界に大きな衝撃を与えた。2026年現在、本人の新たな活動はないものの、残した試合、レスリング一家としての功績、そして後進育成への思いは今も受け継がれている。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- プロフィール:1977年3月15日生まれ。身長163cm、K-1選手名鑑の登録体重は66.5kg。
- 格闘家としての実績:2005年にHERO'S初代ミドル級世界王者となり、須藤元気戦や魔裟斗戦などで注目を集めた。
- 家族:父はレスリング五輪代表の山本郁榮、姉は山本美憂、妹は山本聖子、甥は山本アーセン。
- 死因:がんとの闘病の末、2018年9月18日に逝去。がんの具体的な種類は公表されていない。
- 2026年の現在:本人は故人だが、KRAZY BEEや後進育成への功績が格闘技界に残っている。
【プロフィール】山本KID徳郁の本名・身長・体重・生い立ち
山本KID徳郁は、1977年3月15日に神奈川県川崎市で生まれた。幼少期からレスリングに親しみ、父親の指導を受けながら競技力を磨いた。
リングネームの「KID」は、中学生時代に小柄だったことから付けられた愛称に由来する。後に日本を代表する格闘家となってからも、この呼び名が定着した。
基本プロフィール一覧
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 名前 | 山本“KID”徳郁 |
| 読み方 | やまもと・キッド・のりふみ |
| 生年月日 | 1977年3月15日 |
| 出身地 | 神奈川県川崎市 |
| 逝去 | 2018年9月18日 |
| 享年 | 41歳6か月 |
| 身長 | 163cm |
| 体重 | 66.5kg(K-1選手名鑑の登録値) |
| 競技バックボーン | レスリング、修斗、総合格闘技 |
| 主な所属 | KILLER BEE、KRAZY BEE |
| 代表的なタイトル | HERO'S初代ミドル級世界王者 |
| 愛称 | KID、神の子 |
身長は163cm。日本修斗協会の選手プロフィールにも同じ数値が掲載されている。体重については、K-1 CLASSICSの選手名鑑で66.5kgと記録されている一方、過去の報道では64kgと紹介された時期もある。
これは格闘家として異なる階級や契約体重で試合をしていたためで、体重を一つの数字だけで固定して考えるのは適切ではない。
5歳から始まったレスリング人生
山本KID徳郁がレスリングを始めたのは5歳のときだった。父・山本郁榮は1972年ミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表選手。競技に打ち込む父の姿は、KIDの人生に大きな影響を与えた。
大学時代にはレスリングの学生大会で優勝を重ね、1999年には全日本学生選手権などで実績を残した。2000年には第7回全日本アマチュア修斗選手権ライト級で優勝。レスリングの技術を総合格闘技に応用するための基盤を築いた。
2001年3月、プロ修斗で本格的なプロ格闘家としてのキャリアを開始する。アマチュア競技で培った組み技に加え、強烈なパンチや攻撃的な姿勢を武器に、短期間で存在感を高めていった。
【戦績と獲得タイトル】修斗・K-1・HERO'S・DREAMで残した実績
山本KID徳郁の格闘家としての評価を考えるうえで欠かせないのが、異なる競技ルールへの適応力である。
レスリング出身でありながら、総合格闘技だけに活動を限定せず、K-1の立ち技ルールにも挑戦した。相手の得意分野に踏み込む姿勢が、彼の試合を特別なものにしていた。
公式プロフィールに掲載された主なタイトル
K-1 CLASSICSの選手名鑑には、次のような実績が掲載されている。
- 2005年:HERO'S初代ミドル級世界王者
- 2000年:全日本アマチュア修斗選手権ライト級優勝
- 1999年:全日本アマチュアレスリング・インカレ優勝
- 1999年:全日本レスリング選手権2位
- 修斗ライト級ランキング2位
また、KRAZY BEE KOSHIGAYAの公式プロフィールには、プロ戦績として28戦19勝9敗、14KO・2一本という数字が掲載されている。
一方、総合格闘技のみを対象とする海外の専門データベースでは18勝6敗2無効試合という集計も見られる。これは競技や試合の集計範囲が異なるためであり、異なるルールの戦績を単純に合算して比較することには注意が必要だ。
HERO'Sで初代世界王者に
2005年はKIDのキャリアにおける大きな転換点だった。
HERO'Sのミドル級トーナメントで実力を発揮し、同年には初代ミドル級世界王者のタイトルを獲得。宇野薫やホイラー・グレイシーらとの対戦でも勝利を収め、国内外のファンに強い印象を残した。
特に2005年12月31日の須藤元気戦は象徴的な試合である。K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で対戦し、1ラウンド4分39秒、右フックからのグラウンドパンチによってKO勝利を収めた。
攻撃的な打撃だけでなく、相手を倒した後も試合を終わらせる決定力を持っていたことが分かる一戦だった。
2007年のビビアーノ・フェルナンデス戦
2007年9月17日のHERO'S大会では、ブラジリアン柔術の強豪ビビアーノ・フェルナンデスと対戦した。
この試合では、相手の寝技に対応しながら攻防を展開し、3ラウンド終了後の判定3-0で勝利。総合格闘技における対応力を改めて示した。
レスリングを基礎としながら、打撃や寝技への対応を進化させていったことが、KIDのキャリアを特徴づけている。
【魔裟斗・須藤元気・UFC】伝説的な対戦と海外挑戦の真相
山本KID徳郁の試合を語る際、必ず取り上げられるのが魔裟斗との対戦である。さらに、須藤元気との試合やUFCでの挑戦も、キャリアを理解するために欠かせない。
魔裟斗との2004年大みそか決戦
2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で山本KID徳郁と魔裟斗が対戦した。
魔裟斗はK-1 WORLD MAXを代表するトップファイター。対するKIDは総合格闘技を主戦場としていた。しかも試合は魔裟斗の得意とするK-1ルールで行われた。
体格や競技経験の違いがあるなか、KIDは1ラウンドに左ストレートで魔裟斗からダウンを奪う。魔裟斗も2ラウンドに右ハイキックでKIDをダウンさせ、試合は激しい展開となった。
最終的には魔裟斗が3ラウンド判定2-0で勝利した。K-1の公式保存記録にも、この結果とダウンの応酬が残されている。
この試合が注目された理由は、単純な勝敗だけではない。異なる競技を主戦場とする選手が、相手の得意なルールで真っ向から勝負した点にある。
2015年、11年ぶりの再戦
両者は2015年12月31日、神奈川県の大さん橋ホールで再び対戦した。
この試合はスタンディング特別ルールの3分3ラウンドで行われ、魔裟斗が判定3-0で勝利。ジャッジの採点は全員30-26だった。
2004年の対戦とは異なり、2015年は魔裟斗が現役引退後の一夜限りの復帰戦として臨んだ試合だった。KIDは当時、UFCに参戦していた。
試合後には、KIDが再び10年後の対戦を呼び掛ける場面も報じられた。しかし、その約3年後にKIDは逝去し、次の対戦が実現することはなかった。
UFCでの経歴と戦績
2011年、KIDは世界最高峰の総合格闘技団体として知られるUFCに参戦した。
国内では既にスター選手だったKIDにとって、UFC挑戦は新たな競争環境への挑戦だった。主戦場はバンタム級で、海外の強豪選手との試合が続いた。
- 2011年2月:デメトリアス・ジョンソンに判定負け。
- 2011年11月:ダレン・ウエノヤマに判定負け。
- 2012年2月:ヴォーン・リーに腕ひしぎ十字固めで一本負け。
- 2015年2月:ロマン・サラザール戦は偶発的なアイポークによってノーコンテスト。
UFCでの最終成績は0勝3敗1無効試合。世界的な舞台で白星を挙げることはできなかった。
ただし、UFCでの成績だけを取り出してKIDの格闘家としての評価を決めるのは適切ではない。日本の総合格闘技が大きな人気を集めた時代に、軽量級のスターとして競技の認知度を高めた功績は、別の視点から評価する必要がある。

【家族と兄弟】山本美憂・山本聖子・山本郁榮・山本アーセンの関係
山本KID徳郁を理解するうえで欠かせないのが、レスリング界で数々の実績を残した山本家の存在である。
父、姉、妹、そして甥に至るまで、レスリングや総合格闘技に関わる人物がそろっている。単なる有名人一家ではなく、競技を通じて世代を超えたつながりを持つ家族だ。
父・山本郁榮はミュンヘン五輪代表
父親の山本郁榮は、1972年ミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表選手だった。
競技経験を持つ父親の影響は大きく、KIDは5歳からレスリングを始めている。姉の美憂、妹の聖子も幼少期から競技に取り組んだ。
2019年に放送された日本テレビの特集番組では、父・郁榮がKIDの格闘家としての成長を振り返り、家族にとって大きな存在だったことが紹介された。
姉・山本美憂は女子レスリングの先駆者
山本美憂は1974年8月4日生まれの元レスリング選手で、KIDの姉にあたる。
13歳で全日本女子選手権を制し、その後も国内トップレベルで活躍。1991年には17歳で世界選手権を制し、当時の女子レスリング史上最年少優勝という快挙を達成した。
さらに1994年、1995年にも世界選手権で優勝。全日本選手権でも連覇を重ね、日本女子レスリングの知名度向上に貢献した。
その後は総合格闘技にも挑戦。弟KIDの指導を受けながらMMAに転向し、RIZINのリングにも上がった。弟の闘病中も競技活動を続け、2018年には勝利を報告している。
妹・山本聖子は世界選手権4度優勝
山本聖子はKIDの妹であり、姉の美憂と同じくレスリング界で大きな実績を残した選手である。
1999年に51kg級で世界選手権優勝を果たし、その後56kg級、59kg級でも世界の頂点に立った。世界選手権での優勝は合計4度に及ぶ。
2013年にはアメリカ女子ナショナルチームのコーチに就任したことも発表されている。競技者としてだけでなく、指導者としてもレスリングに携わってきた人物だ。
甥・山本アーセンは次世代の格闘家
山本アーセンは、姉・美憂の息子であり、KIDにとって甥にあたる。
1996年9月8日生まれで、幼少期からレスリングを始めた。ジュニア大会で実績を重ね、ハンガリーへのレスリング留学も経験。2015年末にはRIZINで総合格闘技デビューを果たした。
RIZINの公式プロフィールでも、KIDがアーセンの叔父であることが紹介されている。KIDはアーセンの競技活動にも関わり、格闘技の指導を行っていた。
山本家の関係を整理すると、次のようになる。
- 山本郁榮:父。ミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表。
- 山本美憂:姉。女子レスリング世界選手権優勝者、元MMA選手。
- 山本聖子:妹。レスリング世界選手権4度優勝。
- 山本アーセン:姉・美憂の息子。KIDの甥で、総合格闘家。
この家族関係から見えてくるのは、山本家が長年にわたり競技の現場に関わってきたという事実である。KIDの格闘技人生は、父から受け継いだレスリングの基礎と、姉妹や甥との競技を通じた交流のなかで形成されていった。
【死因と闘病生活】2015年の発病から2018年9月18日の逝去まで
山本KID徳郁の死因は、がんである。
2018年8月26日、KIDは自身のInstagramを通じて、がん治療のため闘病していることを公表した。そして同年9月18日、41歳6か月で亡くなった。
所属ジムKRAZY BEEの公式発表とRIZINの追悼発表によって、逝去が広く伝えられた。
2015年冬にがんが見つかる
日本テレビの2019年1月放送の特集番組によると、KIDの体調に異変が起きたのは2015年の冬だった。
妻に促されて病院を受診し、精密検査を受けた結果、がんが見つかったという。
当時は競技活動を続けながら、病気と向き合う生活が始まった。本人と家族は病状の詳細を公にせず、治療を優先する時間を過ごしていた。
2018年8月26日に闘病を公表
2018年8月26日、KIDはSNSでがん治療中であることを明らかにした。
復帰への希望を示し、ファンに支援を呼び掛けたこの発表は、多くの格闘技ファンに衝撃を与えた。
ただし、がんの種類、具体的な病期、治療方法などは公表されていない。胃がんなど特定の病名を断定できる公式資料はなく、がんという公表内容を超えた情報には注意が必要だ。
若手格闘家のための大会開催にも尽力
闘病中のKIDが取り組んでいた活動の一つに、若い格闘家のための大会「クレイジーリーグ」があった。
日本テレビの特集によると、KIDは2018年3月ごろから大会開催に向けて動き、若手選手にファイトマネーを支払うことを重視していた。
しかし、病状が進行し、当初予定していた大会への参加が困難になった。クラウドファンディングについても、本人が参加できない状況を踏まえて中止し、集まった資金を返金する判断をした。
その後、妹・聖子の夫であるダルビッシュ有らの支援によって大会は実現し、KIDはグアムから映像を通じて試合を見守ったと同番組は伝えている。
このエピソードから分かるのは、KIDが自分自身の試合だけでなく、次の世代の選手が活躍できる環境づくりにも情熱を注いでいたことだ。
2018年9月18日、41歳で逝去
2018年9月18日、KRAZY BEEがKIDの逝去を発表した。享年41歳6か月だった。
RIZINも公式サイトで追悼コメントを発表。山本美憂の弟であり、山本アーセンの叔父として紹介し、日本の格闘技界に残した功績に敬意を表した。
魔裟斗をはじめ、国内外の格闘家や関係者からも追悼の声が寄せられた。特に魔裟斗は、2004年と2015年の対戦を振り返り、長年ともに格闘技界を盛り上げた仲間を失った悲しみを伝えている。
早すぎる別れだったが、KIDが残した試合と指導者としての活動は、その後も格闘技界で語り継がれている。

【2026年現在】KRAZY BEEと山本KID徳郁が残した功績
2026年11月現在、山本KID徳郁は2018年に逝去しており、現役復帰や本人による新たな活動はない。
そのため「山本KID徳郁の現在」という検索に対する答えは、現在の生活や活動状況ではなく、彼の功績がどのような形で残っているかという視点で捉える必要がある。
KRAZY BEEは格闘技の精神を受け継ぐ拠点
KIDが主宰したKRAZY BEEは、彼の格闘家としての活動を象徴する存在である。
現在もKRAZY BEE KOSHIGAYAの公式サイトでは、山本KID徳郁プロデュースのジムとして紹介されている。
2026年10月時点の公式サイトには、クラススケジュールやイベント情報、入会案内などが掲載されている。総合格闘技や柔術だけでなく、キックボクシング、フィットネスなど幅広い運動プログラムを提供している。
ここで重要なのは、KID本人が現在ジムを運営・指導しているわけではないという点だ。本人の死後も、彼が築いた格闘技の理念を掲げる施設や活動が存在しているのである。
後進育成に残した影響
KIDの特徴は、単にKOを量産したことだけではない。自分より大きな選手に挑戦し、異なる競技のルールにも飛び込む姿勢は、当時の格闘技ファンに強い印象を与えた。
また、クレイジーリーグの構想に見られるように、若い選手が試合を経験し、報酬を得られる環境を作ろうとしていた。
格闘家としてのキャリアを終えるだけでなく、競技そのものの発展を考えていた点は、KIDの人物像を理解するうえで重要な要素である。
山本KID徳郁の評価を考える3つの視点
2026年の視点からKIDの功績を振り返るなら、次の3点が重要になる。
- 競技面:レスリングの基礎をMMAに持ち込み、攻撃的なスタイルで軽量級の人気を押し上げた。
- 興行面:魔裟斗戦などを通じて、異なる競技のトップ選手が対戦する面白さを広く伝えた。
- 育成面:KRAZY BEEやクレイジーリーグの構想を通じ、次世代の選手が活躍する場を作ろうとした。
一方、UFCでは勝利を挙げられなかったことも事実である。成功した試合だけを取り上げるのではなく、海外挑戦の結果や競技ごとのルールの違いも含めて振り返ることが、実像に近い評価につながる。
【よくある質問】山本KID徳郁に関するFAQ
Q1:山本KID徳郁の死因は何ですか?
A1:がんです。2018年8月26日に自身のSNSで闘病を公表し、同年9月18日に41歳6か月で逝去しました。がんの具体的な種類や病期は公表されていません。
Q2:山本KID徳郁の身長と体重は何cm・何kgですか?
A2:身長は163cmです。体重はK-1 CLASSICSの選手名鑑で66.5kgと記録されています。試合の契約体重や時期によって異なります。
Q3:山本KID徳郁は魔裟斗に勝ったことがありますか?
A3:公式戦・特別ルールの2試合はいずれも魔裟斗が判定勝ちしています。2004年はK-1ルールで判定2-0、2015年の再戦はスタンディング特別ルールで判定3-0でした。
Q4:山本KID徳郁と須藤元気の試合結果は?
A4:2005年12月31日のK-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で対戦し、KIDが1ラウンド4分39秒にKO勝利しました。
Q5:山本美憂と山本聖子は山本KID徳郁の何ですか?
A5:山本美憂は姉、山本聖子は妹です。2人ともレスリングの世界選手権で優勝した実績を持つトップアスリートです。
Q6:山本アーセンと山本KID徳郁の関係は?
A6:山本アーセンは姉・山本美憂の息子で、KIDにとって甥にあたります。アーセンもレスリングを経験した後、RIZINで総合格闘技に挑戦しました。
Q7:山本KID徳郁はUFCで何勝しましたか?
A7:UFCでは0勝3敗1無効試合です。2011年に参戦し、デメトリアス・ジョンソン、ダレン・ウエノヤマ、ヴォーン・リーと対戦。2015年のロマン・サラザール戦はノーコンテストとなりました。
まとめ:山本KID徳郁が2026年にも語り継がれる理由
山本KID徳郁は、レスリング一家に生まれ、幼少期から競技に打ち込み、2001年にプロ格闘家としてのキャリアを開始した人物である。
HERO'S初代ミドル級世界王者としての実績、須藤元気とのKO決着、魔裟斗との激闘、そしてUFCへの挑戦。華やかな勝利だけでなく、世界最高峰の舞台で苦戦した経験も含めて、彼のキャリアは日本の格闘技史の一部となっている。
2018年9月18日、がんとの闘病の末に41歳で亡くなったことは、格闘技界にとって大きな損失だった。
しかし、KIDの功績は戦績やタイトルだけでは測れない。レスリング一家としての歴史、後進を育てようとした姿勢、KRAZY BEEを通じた格闘技文化への貢献など、競技の枠を超えた影響を残している。
2026年現在、山本KID徳郁本人の新しい活動はない。それでも、彼がリングで見せた挑戦心と、次の世代に競技の魅力を伝えようとした思いは、今も日本の格闘技界に残っている。
山本KID徳郁という格闘家を正しく理解するには、KOシーンや有名な対戦だけでなく、レスリングで培った基礎、家族とのつながり、病気と向き合った晩年、そして後進育成への夢までを一つの人生として見ることが大切である。 (あわせて読みたい:浅草キッドの歌詞の意味を徹底解説!ビートたけしと浅草の芸人修業、その背景)
(出典: 山本 kid 徳 郁(Yahoo!ニュース))