【リハビリの経緯】7場所連続休場から2024年名古屋場所で復帰
2023年夏場所の途中休場後、炎鵬は長い治療とリハビリに取り組むことになりました。休場は翌場所からも続き、2024年5月場所まで土俵に戻れませんでした。 (あわせて読みたい:茨城地震で震度5弱はどこ?2026年4月・6月・8月の揺れと備えを徹底解説)

脊髄損傷の影響で、当初は寝たきりに近い生活を送るほど状態が深刻だったと報じられています。日刊スポーツの2026年3月の記事によると、炎鵬は完全まひではなく不全まひだったことから、復帰の可能性を信じてリハビリを続けました。
420日ぶりの本土俵復帰
復帰の舞台となったのは、2024年7月14日初日の名古屋場所です。番付は西序ノ口十三枚目。かつて幕内で活躍した力士が、最も下の序ノ口から再出発することになりました。
7月15日の2日目、炎鵬は清水海との取組で本土俵に復帰しました。結果は上手出し投げによる敗戦でしたが、約420日ぶりに土俵へ戻った姿に館内から大きな拍手が送られました。
翌16日の3日目には隈乃花を寄り切りで破り、478日ぶりの白星を獲得。勝利後には、長い休場期間を支えてくれた人々への感謝をにじませました。
この復帰は、単に競技へ戻ったというだけではありません。歩くことさえ難しかった状態から、相手と組み合い、勝敗を争うところまで身体機能を取り戻したことを意味します。2024年名古屋場所は、炎鵬の相撲人生における大きな転換点となりました。
序ノ口から幕下まで番付を戻す
復帰後の炎鵬は、序ノ口、序二段、三段目、幕下と着実に番付を上げていきました。
2025年1月場所には東三段目四枚目で6勝1敗。同年3月場所も幕下で6勝1敗を記録し、再び関取を目指せる位置まで戻りました。
しかし、2025年7月場所では左脚を負傷。7日目の取組で左足を痛め、9日目から休場することになりました。検査の結果、左腓骨の剥離骨折と判明しています。
脊髄損傷からの復帰後も、身体への負担や故障と向き合わなければならない状況が続いていたのです。
【2026年の左足首骨折】初場所で起きた2カ所の負傷とその後
2026年に入ってからも、炎鵬は新たなけがに見舞われました。大きな注目を集めたのが、1月の初場所で負傷した左足首の骨折です。
六番相撲で負傷、七番相撲は強行出場
2026年1月場所、東幕下十一枚目だった炎鵬は好調な相撲を続け、6勝1敗で場所を終えました。
しかし、7戦全勝なら幕下優勝と十両復帰をほぼ確実にできる大一番で、延原に敗れました。六番相撲で痛めたとみられる左足の影響も心配されましたが、当時の取組後には本人が足の影響を否定するコメントを出していました。
その後、2月27日の報道で、左足首の状態が明らかになりました。炎鵬本人が報道陣に対し、内側と外側の2カ所を骨折していたと説明したのです。
日刊スポーツやスポーツニッポンの報道によると、負傷したのは初場所の六番相撲。左足首の内側と外側の両方に骨折があり、2月下旬の時点では相撲を取る稽古を再開できていませんでした。
それでも炎鵬は、春場所への出場意思を示しました。痛みが残る中でも、できることを積み重ねて次の場所に備える姿勢を見せていました。
骨折後の2026年春場所で白星発進
3月8日に始まった春場所では、東幕下四枚目として出場しました。
初日の相手は英乃海。炎鵬は下手投げで勝利し、白星スタートを切りました。骨折を乗り越えて土俵に戻ったことについて、デイリースポーツは、本人が恐怖心を抱えながらも自分を信じて臨んだ様子を伝えています。
この場所の成績は5勝2敗。関取復帰を目指すうえで重要な勝ち越しとなりました。
さらに、3月25日に日本相撲協会の番付編成会議で夏場所の十両昇進が発表されました。2023年夏場所以来、約3年ぶりの関取復帰です。序ノ口まで番付を下げた幕内経験者が再び関取に戻るという、極めて異例の復活劇でした。
骨折は完全に治ったのか?
2026年10月31日時点で、炎鵬は5月、7月、9月と3場所連続で十両の土俵を務めています。5月場所は15日間を取り終え、本人もけがなく終えたことに安堵した様子を見せていました。
ただし、左足首の骨折について、完全治癒を医学的に証明する最新の診断結果が公表されているわけではありません。現在の競技復帰や稽古への参加は確認できますが、骨折部位の医学的な状態と、相撲を取れる状態にあることは分けて考える必要があります。
【引退説の真相】炎鵬は現在も現役!十両復帰後の成績と復調度
脊髄損傷による長期休場と度重なる骨折を経験した炎鵬には、引退を心配する声もありました。実際、引退という選択肢が周囲から示されたこともあります。
医師や関係者から引退を勧められた過去
TBS NEWS DIGが2026年6月に公開した特集によると、脊髄損傷で身体の感覚が乱れ、思うように動けなかった時期には、医師から引退を促されたといいます。
また、2026年5月の日刊スポーツの報道では、元幕内力士の間垣親方(元石浦)が、炎鵬に過去2度、引退を考えるよう勧めたことを明かしています。いずれも身体や将来を心配したうえでの助言でした。
しかし、炎鵬は相撲を続ける道を選びました。2026年5月には3年ぶりに関取へ復帰し、現在も現役力士として活動しています。
したがって、ネット上で見かける「炎鵬は引退した」「引退が決まった」という情報は、少なくとも2026年10月31日時点の状況とは一致しません。引退を勧められた過去と、実際に引退したという事実は別のものです。
2026年の十両復帰後の成績
2026年の炎鵬は、十両復帰後も安定して15日間の本場所に出場しています。日本相撲協会の公式プロフィールに記載された成績は次のとおりです。
- 2026年5月場所:西十両十四枚目、8勝7敗
- 2026年7月場所:西十両十一枚目、8勝7敗
- 2026年9月場所:東十両九枚目、7勝8敗
5月と7月は連続で勝ち越し。9月は7勝8敗で負け越しましたが、十両から幕下へ転落することなく、11月場所も十両に残りました。 (あわせて読みたい:柏原崇の病気説は本当?2003年の診断と2026年現在の活動・結婚を徹底解説)
9月場所の負け越しは、2025年名古屋場所以来、7場所ぶりだったとスポーツ報知が報じています。復帰後の成績を評価する際には、勝ち越しの回数だけでなく、長期休場後に15日間の本場所を継続して戦えていることも注目点です。
2026年10月の秋巡業で見せた復調の兆し
10月に入ると、炎鵬にはさらなる前向きな変化が見られました。
スポーツ報知の10月8日付報道によると、炎鵬は約3年ぶりに秋巡業へ初日から参加。埼玉県狭山市で行われた巡業では、関脇・藤ノ川との申し合い稽古に参加し、土俵際から下手投げで逆転勝ちする場面もありました。
本人は、巡業で久しぶりに相撲を取る稽古ができたことを喜び、稽古中には巡業部長の高田川親方(元関脇・安芸乃島)から投げの技術について直接指導を受けたことも明かしています。
また、10月12日には出身地の石川県金沢市で行われた秋巡業に参加。関取として地元に戻れたことへの喜びを語りました。
10月18日には32歳の誕生日を迎え、スポーツニッポンの報道では、今後の目標として再入幕を目指す意欲も紹介されています。自己最高位は東前頭四枚目。そこまで番付を戻すには、まだ道のりがありますが、現役を続ける意志は明確です。
「1日でも多く土俵に上がりたい。純粋に強くなりたい」
こうした言葉と実際の稽古への参加状況を合わせると、2026年秋の炎鵬は、単に本場所へ出場している段階から、巡業でも積極的に相撲を取れる段階へ進んでいることが分かります。
【プロの結論】炎鵬の怪我を判断するときに見るべき3つのポイント
炎鵬の復活を評価する際には、過去の最高位や一場所の勝敗だけで判断するのではなく、長期的な競技復帰の過程を見る必要があります。
1. 脊髄損傷からの復帰と足の骨折は別の問題
2023年の脊髄損傷は、歩行や身体感覚にも影響した深刻なけがでした。一方、2025年の左腓骨剥離骨折や2026年の左足首骨折は、復帰後の競技生活で発生した別の負傷です。
すべてを「首のけがが再発した」とまとめるのは正確ではありません。負傷した部位、発生時期、競技への影響を区別することが、炎鵬の現在を理解する第一歩です。
2. 十両復帰は大きな成果だが、再入幕とは異なる
2026年5月の十両復帰は、炎鵬にとって約3年ぶりの関取復帰です。幕内から序ノ口まで落ちた力士が再び関取になるまでには、数多くの取組と勝ち越しが必要でした。
ただし、十両復帰と幕内復帰は別の目標です。2026年11月場所の東十両十枚目から、再び幕内へ昇進するには、今後の場所で勝ち越しを積み重ねる必要があります。
3. 最新情報は公式番付・星取表・本人の稽古状況で確認する
炎鵬の健康状態や引退説について調べる場合、判断材料は次のように整理できます。
- 日本相撲協会の力士プロフィール: 番付と場所別の勝敗を確認する。
- 本人の取材コメント: 痛みや稽古状況、今後の目標を確認する。
- スポーツ紙・テレビ局の報道: 負傷の経緯や復帰までの過程を確認する。
特に、番付に名前が載っていることは現役としての地位を示しますが、それだけで負傷部位の完全治癒を意味するわけではありません。競技復帰と医学的な回復を混同しないことが大切です。
【炎鵬の怪我と現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:炎鵬の怪我は現在どうなっていますか?
A1:2026年10月31日現在、炎鵬は現役の十両力士として活動しています。9月場所は7勝8敗で、11月場所は東十両十枚目です。10月の秋巡業でも申し合い稽古に参加しています。左足首の骨折について最新の医学的な完治発表は確認されていません。
Q2:炎鵬の脊髄損傷はなぜ起きたのですか?
A2:2023年夏場所中に身体の動かし方が分からなくなるなどの異常が現れました。当初は頸部椎間板ヘルニアと診断されましたが、後に脊髄損傷と判明しています。特定の一番だけが原因だったという公式な説明はありません。
Q3:炎鵬は何場所連続で休場したのですか?
A3:2023年夏場所の途中休場から、2024年5月場所まで7場所連続で休場しました。2024年7月の名古屋場所で420日ぶりに本土俵へ復帰しています。
Q4:炎鵬は2026年に十両へ復帰したのですか?
A4:はい。2026年3月場所で東幕下四枚目として5勝2敗を記録し、3月25日の番付編成会議で夏場所の十両昇進が決まりました。5月場所は西十両十四枚目で8勝7敗でした。
Q5:炎鵬は引退したのですか?
A5:いいえ。2026年10月31日時点では現役です。脊髄損傷の療養中に引退を勧められた経緯はありますが、2026年には十両復帰を果たし、再入幕を目標にしています。
Q6:2026年11月場所の炎鵬の番付は何枚目ですか?
A6:日本相撲協会の公式番付によると、東十両十枚目です。直前の9月場所は東十両九枚目で7勝8敗でした。
Q7:炎鵬は今後、幕内に復帰できますか?
A7:可能性はありますが、確定したものではありません。2026年10月には秋巡業で申し合い稽古に参加するなど、前向きな動きが見られます。今後の勝ち越しと番付の上昇が再入幕への条件になります。
まとめ:炎鵬は怪我を乗り越え、再入幕を目指す段階へ
炎鵬の怪我の歴史は、2023年の脊髄損傷による長期休場だけではありません。2024年7月の復帰後にも左腓骨の剥離骨折、2026年初場所後には左足首の2カ所骨折が判明するなど、何度も試練に直面してきました。
それでも、2026年3月に幕下で5勝2敗を記録して十両復帰を決め、5月場所から関取として再出発。7月場所では8勝7敗、9月場所では7勝8敗と、十両で戦い続けています。
2026年11月場所の番付は東十両十枚目。10月の秋巡業では約3年ぶりに本格的な申し合い稽古にも参加し、再入幕への意欲を示しました。
現在の炎鵬を評価するうえで大切なのは、かつての幕内力士という肩書だけでも、過去の大けがだけでもなく、実際の番付と取組内容、そして継続して土俵に立てているかという点です。
脊髄損傷からの復帰、序ノ口からの再出発、3年ぶりの十両昇進。その歩みは、単なる番付回復を超えたものです。次の目標は幕内復帰。炎鵬が再び上位の土俵で存在感を示せるか、2026年九州場所の取組にも注目が集まります。
主な参照資料
- 日本相撲協会「炎鵬友哉 力士プロフィール・過去の星取表」
- 日刊スポーツ(2024年7月15日・16日、2026年2月27日、3月25日、5月24日)
- スポーツ報知(2026年10月8日・12日)
- スポーツニッポン(2026年2月28日・10月18日)
- TBS NEWS DIG(2026年6月2日) (あわせて読みたい:スポーツ報知競馬2026最新|馬トクの出馬表3種類・指数・激走馬と予想活用術を徹底解説) (出典: 炎 鵬 怪我(Yahoo!ニュース))